人が亡くなると必ず行われる「葬儀」いわゆるお葬式ですが、誰かが亡くなったらやるもの。こういう流れでこういう風に進めて、故人と遺族と親しい方たちのために行うもの。という認識でした。
ですが、ある日お客様から「お葬式ってやらないと駄目でしょうか?」というお問い合わせが私のところにきました。
それまで漠然としていて、私もふと「何でお葬式ってやらなきゃいけないのかな?」と思うことはありましたが「そういうものだから。」と、それ以上は考えていませんでした。あなたも「お葬式ってやらないと駄目なのかな?」とふと思った事があるかもしれません。
- 「葬儀」とは何のことなのか?
- なぜ、「葬儀」を行うのか?
葬儀屋としてちゃんと答えられるように、あらためて上司に聞いたり、本を読んだり法律を調べたりして纏めました。
そもそも「葬儀」とはなんだろう
亡くなって(臨終)から死後(喪)までの一連の儀礼
狭い意味では、一般的に葬式(葬儀式)と言われているものですが、死者を葬り、送る一連の儀礼「葬送儀礼」の略になります。
死者を葬り、送ると聞くとなんとなくイメージが湧きやすいと思います。
残された者の心の悲しみに合わせて
葬儀で行われる一連の儀式は故人の死を悲しむ遺族、親族、友人の心に沿いながら、また「死」と向き合い、気持ちを処理するものになっています。
こちらは後ほど書いていきます。
ざっくりと纏めると、人が亡くなってから葬り(いわゆるあの世へ)送り、周りの悲しみを処理する一連の流れです。
なんで「葬儀」をするのだろう?
人は生まれたら、必ず死んでしまいます。そして人は成長において個人個人でまったく違う環境を構築します。家庭環境、友人関係、社会的な役割などなどまったく同じ人はありえません。
そして死に関しても、まったく同じときに同じように死ぬことはなく個人個人で大きく異なります。
次は葬儀はどういうものかはわかったけど、なんでやる必要があるのか?についてです。本や資料を参考にしているので文章が堅いですが出来るだけわかりやすく纏めてみます。まずは葬儀の役割について整理していきたいと思います。
葬儀の役割
- 社会的な役割
- 遺体の処理
- 霊の処理
- 悲嘆の処理
- 感情の処理
大まかにこのような役割があります。それでは順に、なんで「葬儀」をする必要があるのか見てみましょう。
社会的な役割
人は生きている間に多かれ少なかれ社会とかかわっています。まったく社会とかかわらないという人もいるかもしれませんがそれでも関わってしまうものが現在の社会です。
ですので、まずは関わっている社会に「死」を通知しなければなりません。現代では、死亡届の役所への提出や相続手続きを指します。死亡届の提出をしないと火葬許可が出ないので遺体の処理が出来ません。
ただでさえ遺族は深い悲しみに包まれている中、あれこれと手配に追われます。また普段あまりない出来事ですから何からやっていいのか?何をしたらよいのか?すべて把握し冷静に行動できる方はあまりいないと思います。
葬儀社による葬儀は手続き関係も葬儀社側でほぼ行いますし、毎日行っていることなので確実に法的な手続きを遺族に説明しながら処理を行うことが可能です。そういった意味でも役割があると思います。
遺体の処理
人は亡くなると腐敗が始まってしまいます。その為、遺体は土に埋めたり(土葬)、火で燃やしたり(火葬)するなどの処理が必要になります。
また死者がもういないこと。死者と決別する事を認識するためにも見える形での処理は単なる物理的な処理だけにとどまらず、残された者たちの心にも死を認識させる為の行為だとも考えられます。
現在、日本では公衆衛生の点も含め火葬、もしくは土葬を行わなければなりません。これは法的にも重要です。遺体は法に則り処理をしないと死体遺棄などになり処罰の対象になってしまいます。
霊の処理
この霊の処理が儀式としてのメインの処理になっていると思われます。人が亡くなると生きているこの世では故人と残された者の関係が閉ざされてしまいます。
そうした中、世間一般で言ういわゆる「あの世」での幸福を願い、普通ではない力(宗教儀式)によりそれを執り行います。これを行うことによって、故人の冥福を祈るとともに、死者と生者との間に新たな関係性を作り出します。
現代では宗教に関する多様な見方から、宗教者を用いない葬儀もありますが、いわゆる「故人の霊」の幸福を願うという点では変わっていないと思われます。
悲嘆の処理
「死」は一般的に周囲に悲しみ、心の痛み、不安を与えます。
この悲しみや心の痛みや不安の元である「死」を受け入れるには、長い時間を要することが多く、また様々な葛藤を伴います。故人との立場が近ければ近いほどこれは強く現れます。
葬儀は、上に書いた流れを追うことにより、悲しみ、不安の元である「死」を受け入れ、様々な人たちに支えられ、また寄り沿い慰めるという、心を癒すプロセスでもあります。悲嘆や不安、葛藤はおかしなことでなく自然なことです。むしろこれを適切に処理し癒すことが重要です。
感情の処理
人の死は、これら以外にも様々な感情を引き起こすものです。日本の歴史で言えば「祟り」に代表されるように、自分の理解が及ばないことを恐れたりもします。
テレビやお話やさまざまな場所で教えられたり、見聞きしたりした「祟り」「霊」などの恐怖感を和らげるために、日本人は昔から鎮魂の儀式を行ってきました。慰霊祭など、聞いたことがあるのではないでしょうか?
また、故人を愛おしく離れたくない気持ちとともに腐敗に対する恐れも抱いたりします。このような様々な感情をケアするためにも葬儀は存在します。
人生の集大成としての「式」
そもそも何故、葬儀をするのか?という根本的な問いですがこのように様々な意味があります。
「法的には役所での届出と火葬、もしくは土葬を行えばお葬式をあげる必要はありませんよ。」と、冒頭のお問い合わせをいただいたお客様には、このように回答をさせていただいたのですが、改めて纏めてみると規模は小さいとしても行ったほうがよいと思えます。
(ただ、役所の手続きとかを自分でやったり、火葬場の予約を取ったりと、普段は行わない事が出てくるので、葬儀屋に一番安いプランでもいいので頼む方が結果的には安く上がると思います。)
金銭的な面もあるので一概には言えませんが、最近ではお葬式の価格の透明化と低価格化も進み、選択肢も増えたので一番小規模なものなら20万円以下で執り行えます。
人の死はやはり特別なことで、特別なことには何かしらを行うのではないでしょうか?そして、節目には必ず「式」がつきものです。
「入学式」「卒業式」「入社式」など人生のステージが変わるたびに、なんらかの「式」と日本人は結びついていると思います。「お葬式」は、いうなれば人生の最後の「式」なのですから、それぞれの人生の集大成として行うものではないでしょうか?
「式」なんてくだらない。とも思いますが、全ての「式」は後から出来るものではないですし、様々な「式」は後から考えるとやはり一つの区切りとして自分に刻まれます。その時には不要に思えるかもしれませんし、時代の移り変わりとともに形態や考え方が変わっていくのは当然です。
ですが上に書いたことを読んで頂き、初めの疑問「お葬式ってやらないと駄目なのかな?」に対する、あなたなりの答えが見つかると幸いです。